文章を書くこと。

文章を書くのはそれなりに体力を使う。

これはあまり知られていない事実だ。日本でツバメが4割減ったのと同じくらい知られていない。

自らの考え方やものごとを整理してまとめたり、物語を一から書き起こすときなんかはそれなり以上の体力を要する。

活字はある意味で鉄アレーなのだ。

ただその重さは人によって違いがある。

適当に書く文章は500gくらいしかないのだが、深く突き詰めて書こうとすると10000gくらいまで変化する。

(もっともプロの作家は100000kgくらいの重さの文章を日常的に書くわけだが、彼らの筋肉はそれに耐えうる耐久性がある)

体が疲れているときにはもう全然やりたくない。どれくらいやりたくないかというと、一度おろった後にサイゼリアのデカンタを2本飲むくらいやりたくない。

では軽めの文章を書けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、一旦ウエイトをあげてしまうと軽い重さで書くことができなくなってしまうので、結局はいつもよりちょっと軽いくらいの重さで書くことになる。

そうなると活字を見ることを脳が拒否しだすし、パソコンを立ち上げることすらおっくうになる。

夜中にブログを書いていて何度も書き直したりしているのはただの苦行でしかない。

部活終わりにお腹ぺこぺこの体でもう一周走って来いと言われているあの感じである。

そして1周終わったら、とりあえず腕立て伏せを50回!終わったらスクワット100回!

そこには面白さも達成感もない惰性感だけが支配する世界だ。

惰性でおこなうその苦行ではあるのだが、ある一定の水準を超えてくると楽しくなってくることもある。

ただし、大抵の場合そこまでいくと眠れなくなってしまう。

脳が一部分、麻痺してしまうようだ。

そんなことを繰り返すのであれば、一定期間活字を見ない生活にしていかないと、頭の中にお花畑が咲いてしまうかもしれない。

 

そもそも文章書くのって、パソコンの前に座ってキーボード叩いているだけでしょって思うかもしれないが、実際には筋肉や内臓にまでダメージが蓄積しているのだ。

なので、フィジカルな部分に耐えうる力がないことには継続的に書くことはできない。

だからもし歳をとってからひとつ面白いものでも書いてみるかと思っても、およそ10キロくらいさらっと走れない人にはおそらく何かを最後まで書き上げることなど不可能だろう。

幸いなことに僕は仕事で体をつかうし、若いときから体力仕事ばかりしてきたのでそこに関しては心配はない。

 

最後に、今これを書いている僕の心境はもう全然書きたい気分ではない。

つまり居残りの部活で走らされているような気分だし、ブログを時間までに仕上げないといけないという使命感だけで突き動かされている。

気の利いたことも面白いことも浮かばないし、ウイットに富んだ文体だって出てこない。

惰性でこの空白を埋めようと頑張っている。

その努力だけは認めてもらいたい。

というわけで、今日はこんな感じでこそっと終わろうと思う。

 

RIO