サンライズでは荒れた海なんかで無事ダイビングを終えますと、お礼参り的な意味合いで神社に行くことがあります。
そういう機会があるごとに僕はみなさんにご利益のある参拝方法をお伝えしてきました。
これこそは正式なものであると自信をもってお伝えしていたのですが、先に言っておきますとぜんぶ間違っていました。
訂正しておわびいたします。
僕は神社関係のことには昔から興味がありました。
しかし、改めまして古事記、日本書紀を学び直すうちに僕の見識が大いなる間違いを起こしていたことに気がつきました。
間違えていた原因といたしましては、神社創立の成り立ち、日本民俗学の文脈というものを前提とした神社そのものの役割や意味を知らなかったということになります。
まず大きな間違いをひとつあげておきますと「神様の前でお願いごとをする」ということです。
これはまったくもって浅はかな行為となります。
今すぐやめましょうとまでは言いませんが、意味がないんだということだけはお伝えしておきます。
ではまず参拝の前に、日本人にとっての神社の役割というものを理解する必要があります。
今回はわかりやすくするためざっくばらんにいいます。
(真剣に書き出しますとそれはそれは大変な文章量になってしまい誰も読まなくなります。)
神社というのは疫病、自然災害、地震、大火事、干ばつを回避するために作られました。
人間の力では抗えない天災というのは、人間の悪行によって引き起こされる「神の祟り」だと思われていたからです。
そういったものを鎮めるために祈祷や祭りを行うところが神社仏閣であるわけです。
また神社というのは「そこまで行けば安心だ」という安全な立地に絞って建てられていますので、災害に強い場所でもあります。
自然の神を祀るわけですから、危ういところにもあるのですが、そのなかでも安全なところを吟味して建てられています。
1200年前に建てられた神社が今でも残っている理由がここにあります。
昔の人はどこでどんな災害があったのかを詳細に記録していたんです。すごいですよね。
そう考えますと、昨今の土砂災害なんかで家が流されるニュースを昔の人が見たら、「よくそんなところに家建てるよね。あほなんじゃないの」と思われちゃうはずです。
いつごろから作られたのかと言いますと平安時代です。
日本各地に神社仏閣を建てまくりました。
そのおかげで、陰陽道、日本風建築物(美しければ美しいほど神に受け入れられる)、ビジュアルで伝える巻物(誰でも意味を理解できる)、修験道、国風文化、祈れば祈るほど祀れば祀るほど神を味方につけることができる神国意識など、日本の数多くの文化が生まれました。
では、日本人にとって神とはどんな存在なのか。
男はつらいよのフーテンの虎さんみたいにいつやってくるのかわからないあやふやなもの。
(ちょっと言葉では説明しずらいのですが、日本人は地震、まれびと、雷、疫病、野生動物、全て神と呼んでいました)
そこで日本人は、日頃から掃除をしたり、食事に気をつかったり、心身を清めて神を待つ準備していました。
祭りもそういった意味合いで行われます。(祭りとは神待ちという意味です)
これ以上説明すると長くなるので、本題にはいります。
災害の多い日本人の意識の中には「いいことがあれば悪いことがある」というものがあります。
あの災害はひどかったけれど、別の角度からみれば良いこともあったんだ、みたいになんでも前向きです。
例に出しますと、地震が起きたあとには豊作になるという言い伝えがあります。
神はマンネリ化した僕たちに喝を与えてくれて、一致団結できて、豊作になるんだからほんとすごいもんだと、超ポジティブ思考。
大変なことがあっても最後はなんとかなるんだからということで「ええじゃないか精神」も生まれてきます。
知ってますかね?
「ええじゃないか」
知らない人は調べましょう。
現代語では「まあいっか」ですかね。
そういった精神性から神社に参拝に行くというのは、先にいやなことをしておけば、あとからいいことがあるだろうという意味合いがあります。
夏の暑い時や冬の寒いときに、わざわざ遠くの神社に出向いて参拝するんですから、それはある意味で嫌なことですよね。
今は車なんかでさっと行けちゃいますが、昔の人は家事や農業の合間に徒歩で行くわけですから大変だったんです。
参拝するというのは「無になって自分をリセットする」ために行きます。
神様に向き合ってすっきり爽快。
いやなこともすっかり忘れて、よし明日からがんばろうと思う。
これだけです。
その人の中に響けばそれでいいんです。論理も意味もないんです。
神社の参道は、赤ちゃんが出てくる産道と同じ意味ですからね。
神社に行って、出てきたときは生まれ変わっているんです。
そうしながら、日ごろから掃除をしたり、食事に気をつかったり、心身を清めて神を待つ準備しておくんです。
この神様にはこんなご利益があるなんて言い出したのは、誰かがお金儲けをしようとして無理やりこじつけたんです。
こうしたらいいなんてもの始めからなかったんです。
でも日本の神様は寛容ですから、別にかまいませんよってなもんです。
ほんとすごいなあ。
では、ここで正式な参拝方法をお伝えします。
まず、手水舎で手を洗います。口もすすぎます。
川があれば川に沿って歩きます。
せせらぎに耳をすませます。
森があれば葉っぱがすれる音に耳を傾けます。
自然の気配を感じます。
風が吹いたら風を感じます。
神様の声を聞くのと同じ感覚ですね。
神様の前につきましたら、お賽銭をいれて、軽く1礼したら、深く2礼します。(腰は90度曲げてください)
左手が右手よりも第一関節分高い状態で2回、柏手をうちます。
左は「魂」右手は「身」ですので、左手の方が格が高いからです。
ぱんぱん。
この時はなるだけ大きく音を響かせてください。
名前も願い事もいりません。
神様と真摯に向き合ってください。
無になってください。
すっきりしてください。
最後に深く1礼(腰を90度)しておわりです。
毎月、一日に行うのがいいです。
リセットされやすいからね。
最後にくれぐれも言っておきますが神様の前での「現世御利益的な発言」はつつしみましょう。
あほだと思われますから。
RIO