先日、唐津のダイビングが終わり、お店に集まって話をしているときに僕はこんな質問を投げかけてみた。
「そろそろ素潜りが忙しくなる季節が近づいてきました。ちなみにみなさんはサンライズ一の人気を誇る素潜り講習を受けたくなったりしないのですか?」
すると、そこに居合わせた人たちは首をかしげながら答えたくれた。
よくよく考えてみると、これまで僕はこの系統の質問を投げかけることを避けてきた気がする。
素潜りなんかどうせダイビングの付属品みたいなものなのだし、ダイビングと素潜りは別物であるという認識が僕の中にあったからだと思う。
しかし、このときはなぜか聞きたい気持ちにかられたのだ。なぜなのかはわからない。
でもとにかく僕は貴重な回答を拝聴することができた。
まとめるとこうである。
興味がない、素潜りをする機会がない、ダイビングで満足している、なんとなくやらない。
改めて聞くことでもなかったような答えばかりだった。
人は自分の生き方に則した枠組みを持っている。それをことあるごとに分析したり解析したりしても仕方がない。
ある程度の範囲までは「この人はこういう人だよな」と番地をつけて押し込むことはあるが、それは自分の思考を整えるために、あるいは頭の中に収納するために行うあくまで僕の問題である。
他人を正確に腑分けできているというわけではない。いつだって問題は棚上げされているのだ。
ましては他人を変えようなんてもっての他である。なかでも人のやる気というのは他人がどう頑張っても自在に動かせるものではない。
それは牛に牛肉を食わせるように仕向けるのと同じくらい愚かなことなのだ。
素潜りは頭から入るために40%近い人たちは耳が抜けずに困っているが、最終的には5%までその数は減らせることができる。
僕はそのことをみんなに話した。
素潜り講習は4日間という短い期間で、講習生の足にあわせた有益な情報をスマートでコンパクトな形であつらえ提供し伝える場であり、
スキューバダイビングの講習とは趣を異にする別物であるということを伝えるためだ。
僕は限りある人生の時間と体力を消費し知識と経験と積み重ねてきた曲がりなりにもプロのインストラクターである。
簡単ではないにしろ、難しいことではない。
すると「そんなやり方を知っているなら教えてくださいよ」とひとりのうらわかき女が異議を申し立てた。
しかし考えてもみてほしい。
なぜ、スキューバダイビングの講習を受けている人に素潜り講習の知識をおしえなければならないのか。
彼女にはすでにスキューバダイビング上での耳抜き方法は数多く教えている。
くだらない諧謔の類は無料ではあるが、世界共通で知識を授かるというには「有料」であることを忘れてはならない。
それにサンライズでは(PADIの基準を超えて)かなり上位レベルのことを教えている。
アドバンスを取得すれば、レスキューダイバーをかじっているし、レスキューダイバーを取得すれば、ダイブマスターをかじっている。
ダイブマスターを取得すれば、インストラクターをかじっているし、TT講習では独立をかじっている。
ただし、成長スピードは個々で違うために時差が生じてしまう。
だから、あとは個人の裁量にまかせるしかない。
そして、最後にこれだけは言っておきたい。
僕は生来ケチな人間であるし、教えることが苦手な性分である。
講習生は鉄柵を乗り越える克己心を携え、しかるべき料金を支払い、乾坤一擲の精神でこなければ真剣に教えることはない。
「うんうん。そういう場合はこうなんだよ」という時代は僕の中ではとうに過ぎ去ってしまったのだ。
RIO