今年も一年、お世話になりました。
今日は海もありませんでしたので、本年最後のご挨拶ブログとなります。
長引くコロナ禍の中にあり、一年ことなく過ごせることができたのは、みなさま方からの強力な慕情による支援があったからにほかなりません。
今年去っていた方、今年近づいてきた方、昔からずっといる方たちのことを、ふと思い浮かべますと、自然、胸中に湧き起こる、感謝の念をおさえることができないのはそのためだとおもいます。
来年は今年にも増して、その期待と信念を見目麗しく立派なものにしていくことができれば、それに勝る喜びはありません。
その事業がいかに大変であるのか、ということは重重承知の上で、ひとつ言わせていただけるなれば、今年をまるごとすっぽり包み込み、来年を軽々と許容可能な入れ物へと再形成する、いわゆる清濁併せ持てる技量は、この十年でしっかりと培われていると、恥ずかしながらも自負しておる次第です。
それゆえ、来年の目標は来年に生み、二月の初旬ごろから楚々と育てていくくらいでちょうどいいのではあるまいか。
そのくらい鷹揚に構えている方が、アナクロニズム的で、サンライズらしくていいのではないか。
僕はひとりそのように考えていますが、みなさんはどのように思うでしょうか。
一月の長期休み明けに、それについてひとり考えてみます。
どのような答えがでるのかさっぱりわかりませんが、決まり次第(決まらないと書きません)、追ってD-PASSページにて発表いたします。
その際は、ご確認のほどよろしくお願いいたします。
さて、最後。
ここで僕個人の来年の目標をお伝えしておかなければなりません。
その目標はいたって明確。
かつ明瞭。
しかし、それは僕にとって、最も困難な事のひとつです。
それは、「こころ穏やかに暮らしていくこと」です。
日常的に起こる、三次元的現象に振り回されず、お茶やお花なんかを心静かにたしなむことができる、余裕のある年にしたい。
それが僕の真なる願いです。
そのためには「しんぎたい」を統一させる、ある種武士道精神のようなものを養わなければならないでしょう。
あるいは、もっと自分と向き合う必要があるかもしれません。
もしかしたら、来年は無理かもしれないですね。
書いていてそう思いました。
無謀なことはいいません。
50になるまでの、残り六年の間に成し遂げられればいいです。
来年はその準備の年となるのかもしれません。
準備の準備の年になるかもしれません。
進みが遅いですが、それもまた人生です。
今よりも、未来をよくするのは人間の性。
みなさんもちょっとだけ素敵な未来が作れる目標のようなものをひとつ抱えて、本日の年越しに備えてみてはいかがでしょうか。
きっといいことが起こるような気がします。
僕から言いたいことはこれだけです。
では、よい年をお迎えください。
RIO