ダイビングのスポーツ性。

今日はダイビングのスポーツ性についてちょっと考察してみたい思います、

一般的には、勝敗をつけることを目的とした活動のことをスポーツと呼びます(呼ぶと思います)。

でも、別に勝敗がなくたってスポーツと呼んだっていいじゃないか、と思った僕はちょっと調べてみました。

アレン・グートマンの『儀礼から記録へ:近代スポーツの本質』のなかで、スポーツとは「『遊びの要素に満ちた』身体的競争」。いずれも共通するのは、「遊戯」であり「プレイ」「遊び」なのである、と定義されていることから、ダイビングもまあスポーツの部類にいれてもいいのではないのかなあということです。

ダイビングにもれっきとしたルールがあり、肉体的鍛錬があり、道徳的訓練があるわけなので、勝敗がないというだけでスポーツという装置から外してしまうのはなんとももったいない。

(べつにダイビング自体はスポーツだろうが海遊びだろうがアクティビティーだろうがなんだっていいんだろうけど)

しかし、勝敗というわかりやすい優劣的区分がないため、ダイビングでは上級者と初心者の区別がつきづらいのは確かです。

いわゆる上級資格や経験本数でそのあたりの正確性をはかればいいじゃないかと思うかもしれませんが、ゴールド免許をもったペーパードライバーのようなダイバーが一定数存在する以上やはりそれも難しい。

となると、やはり一緒に潜ってみてこのひとはどこまでできるんだろうと肌身で感じるしかありません。

それはバンドの一員となって演奏することと似ていると思う。(バンドをやったことがないので、たぶんそんな感じ)

ひとたび海に潜れば、どれだけ取り繕っていようとも、皮をべろっと剥かれたうなぎのように丸裸にされてしまうから。

それにしても技術や知識だけでなく、メンタリティーや一次情報といった核心にせまるところまでわかってしまう海というのはつくづく恐ろしいところです。

人事をまかされている人は、2次面接、3次面接なんてめんどくさいことしなくても、海に一回潜るだけでいいので、ダイビングを面接のツールとして採用してみることをおすすめします。

 

ダイビングでは上級者になってくると、よく上級者ポイントなるところで潜ったりします。

それは一貫して、流れが急激に変化するところ、途端に深くなっているところ、着底したら怒られるところ、危険生物が襲いかかってくるところ、または覆い尽くされているところ、船などの往来がおおいところなどです。

リスクをとる代わりにそれなりのご褒美的生物に出会えるわけですが、単に疲れて終わることだってあります。

そういう場所にはそういうひとたちがより集まって、ああでもない、こうでもないと楽しんでいます。

上級者という勲章を場所から得るという方法もあるのですが、べつにそういった場所に(大抵の場合、日帰りではいけない)出向かなくても上級者のダイビングはできます。

たとえば、

辰ノ口で水深30mのアラの巣までおりていって、残圧が80BARを切ってもウミウシをゆっくり撮影しながら、ダイブコンピューターの数字が5分になるまで粘ったら、一目散に浅瀬に逃げ帰る。

そこで必要となるスキルは、浅瀬に戻る途中に急浮上してしまわないこと、流れに逆らってガンガン泳いでもリズムを崩さず空気を消費できること、ディープストップの意味がわかること、ガンガゼの上を必要以上に避けなくてもおよげること、はぐれたとしても自分で帰れる自信と余裕があること。

これって文として読んでいると簡単そうですが、実際の場面ではなかなかできないことです。

まずスキルだけでなくて精神的にどしっとしていないといけません。不確実性が高い海の中でどしっとするには、技術だけではなくて実践的な知識も必要になります。テキストでならったことだけはなくて、経験から得たものもふくめて。

しかも短時間でレアな生物たちを探し出す審美眼も必要となってくるので、潜っただけでイソマグロの群れがどどーんと出るような絶海の孤島なんかよりもむずかしいと言わざるをえません。

それにしても、このどしっと感は海の中でみるとほんとうによくわかります。

「このひとはこういう場面になるとぐらぐらするのかあ。ふむふむ。」と僕は楽しんでみています。

ちょっと性格が悪いですが、単なる観察マニアなので気にしないでください。

 

リゾートの海で年間10本とか20本とか潜ってきたトータル本数が300本以上の人と潜ると、結構ものすごい勢いでぴったりと張り付いてくる人がいます。

見ていると、耳抜きは問題なくて、浮きも沈みもせずに空気の消費は少ない。ナビはできないけれど、フィンワークがうまくて流れの中でも平気で泳いでくる。

振り返ると毎回こちらを見つめ返してくる。見つめられてもこちらとしては困る。今はなにもいないところを通過しているだけなのだから。

僕はそういう人たちと潜っていると、この人はなにがたのしいんだろう、何を目的として潜っているんだろうと反芻してしまいます。

ダイビングというのは相互補完の関係性のなかで楽しむもの。

なんだってそうなのだけれど相対性が退いてしまうと、絶対性にとってかわられてしまうのだ。

その現実はきわめて明確に役割が示され、なすべきことは自己のルールの中で完結していく。

そのひとたちは明快なかたちをもった満足いく物語のなかに引き込んでくれ、そのためにもっと努力をしてくれ、注意を払ってくれと課題を与えてくる。

その圧倒的熱量を込めた視線が背後から突き刺さる。

しかし、その要素をすべて満たすというのは、真冬の沖縄北部がベタナギになることよりも難しいことなのだ。

 

つまりは、やっぱりこれがいいんだよなあと一本筋の通ったところがない人はまだまだ初心者の粋を脱さないということです。

そういうところを初心者のひとたちともすんなり共有できるようになってようやく上級(もしくは中級)への仲間入り。

そこは普通のスポーツとちょっと違うかもしれませんが、ダイビングってそういうものなのです。

 

RIO