正直に言うと、僕はこれまで同じ会社に長く勤めたという経験が一度もない。最も長いといってもおよそ3年といったところである。3年ですら自分の中ではかなり長くやったなあという印象がある。
社会人として致命的ともいえるこの性質に気がつく前の僕はどんなことでも忍耐と根性のうちに乗り切れる靴職人のような人間であると思い込んでいた。やる気になればログハウスの一軒や二軒くらい建てられる器用さと軽やかさをもっているとさえ思っていた。しかしいざ社会に出てみると僕の職人気質というのは常人以下、大きくかけ離された幻のようなものだと実感せざるを得なくなった。とにかく僕の考えは「ぬるかった」わけだ。
世の中には実に器用で忍耐強い人が数多く存在している。それが僕にとっては信じらなかった。そしてその事実を見過ごすわけにはいかなかった。僕はそういう人たちと実際に会って話すたびに自分が真反対の人間であることを実感としてヒシヒシと感じることになった。手先が不器用で飽きっぽくて気まぐれの渡り鳥みたいな僕がとうてい追いつけるような代物ではなかったのだ。
僕は将来、なんの技術も身につけることができないまま、あっちの島からこっちの島へと飛び石を飛ぶように最下層の闇へと吸い込まれていくことになるのだろう。いずれれっきとしたホームレスとなって高架下の寝床を渡り歩くことになってしまうのだろうと、僕はそれについて考えていると、深くて暗い苦悩の中に埋もれることとなった。それは今でも体のどこかで覚えているし、実際のところその「柔らかなカオス」から完全には抜け切れていないような気がする。
そして僕は成果主義をよしとする中島家の教育システムの正当な脱落者となり、それは現在にも続く脱落者のエリートとなった。
だが何もかもが続かないわけではなかった。新しい職場には初対面の人がいて、見たことがない書類があって、使ったことがない道具が置いてあり、その新しさによって新鮮な気持ちで仕事に打ち込むことができたし、それなりのやりがいを感じて生き生きと働くことができた。しかし時間の経過と共にその新鮮さは失われ、「飽き」がその取り分を確実に奪い去っていった。そうしているうちにその会社での役回りや立ち位置が理解できるようになり、出世の幅が予想できるようになる。つまり安全ではあるが退屈な継続性が構築されていく。(まあそれが会社勤めというものなのだけれど)
そうなってくると僕はいてもたってもいられなくなり、熱に浮かされたみたいに新天地を探しに出かけることになる。あるいは引っ越し(僕は引っ越しジャンキーである)に精を出すようになる。どうしてそうなるのかは僕にも一向にわからない。とにかく安定した環境に身を置くと体の組成がついていかない感じがするのだ。(アイスランドの断崖絶壁を好んで住処にするパフィンみたいだ)
それは休暇のサイクルに見通しが立ってしまうことも問題の一端を担っていたとおもう。
例えば、今月の休みは6回あるから、1回目の休みはコストコに買い物に行ってジムのプールで泳いでおわり、2回目の休みは天神の美容院に行って車のタイヤを替えておわり、3回目は・・・みたいな感じであっさりと見通せてしまうというのは僕にとって鬼門だった。
近未来が予測できる日常というのは僕にとって執行猶予付きの刑に服している気分と等しいのだ。
逆説的ではあるけれどサンライズを10年続けてこれたというのは、その日常サイクルの霧がほとんどまったくといっていいほど晴れなかったからだといえる。その霧は僕をとてつもなく不安にさせたが、同時にとんでもなく安心にもさせた。アクセルとブレーキを一緒に踏んでいるようなその環境は僕の浮ついた魂を安定させる結果を生んだのだ。
創業時においてはなにか一枚の黒い遮光カーテンに遮られるようにつきまとい、闇と霧のコラボレーションがサンライズ全体を覆っていた。匍匐前進のように進んでいく僕の先には想像も未来も希望もなかった。夜明け前の暗い闇の中はただただ冷たくて空虚だった。2年も過ぎれば深い霧の中にその輪郭のようなものを捉えることができるかもしれないと思っていたのだけれど、腕時計すらみえない視界不良状態が改善されることはなかった。反対に時間の経過とともに確実に訪れるはずの「飽き」は僕の前に一切現れることがなかった。それは僕の人生で味わったことがない経験のひとつだった。そしてそれは良くも悪くも僕の前に一つの事実を提示することになった。それは飽きがやってこないというのはイコール幸福ではないということだ。不安定な崖から落ちないように歩く行為そのものに幸福という要素が含まれていなかったのだ。少なくとも僕を満足させるものではなかった。僕は何も考えずに広くて平なところでゴロンと寝っ転がって休んでみたいと思うようになっていた。3年を過ぎたあたりでそろそろ本気でドロップアウトしようかどうか悩んでいた。
さて、10年たった今、視界はどれほど晴れたのだろう。
正確なことは言えないが、15mくらいは見えているのではないだろうか。15mと言われてもぴんとこないかもしれない。言葉で伝えるのは難しいので、普段潜っているときの感じを想像してみてほしい。冬の時期の一番綺麗な志賀島くらいである。
先が見えるようになってくると、日常サイクルの継続性が顔を見せはじめる。それはある種のリズムのようなものだ。そのリズムは諦観に満ちているが、継続性を作る土台にそのリズムは欠かせない。そのリズムはまるでひとつの協奏曲を紡ぎ出すようにすべての音符を白日のもとにさらす。楽譜に記されているものをひとつひとつ理解することは日常をひとつひとつ理解することと等しく、それは僕がいうところの退屈な継続性へとつながることになる。しかし年を重ねるごとにそういった日常サイクルの継続性にとらわれることが少なくなってきた。すこし先の休みが見えることによって生じる無作為な衝動性がゼロとまではいいきれないが、昔ほどのパワーは感じられない。まあ別にそれでもいいかと開き直ることができる。それは年のせいかもしれないしあるいは経験のせいかもしれない。とはいえ視界が50mになったとき自分がどう変わってしまうのか、よくわからない。会社員のときとは圧倒的になにもかもが違うのだから。
今日10年という木目が刻まれたことで僕の中でひとつの結実を見たといっていいと思う。
実感としてはないけれどおそらくなにかしらの自信につながっていると思う。
最後にご挨拶。
11年目もどうぞよろしくおねがいたします。
みなさんのサンライズへの思いはしっかりと受け止めました。スタッフ共々これまで通り前進していきたいと思います。
RIO