今年1回目の登山が昨日行われました。
春の陽気でした。
山を満喫するにはもうしぶんない日だったと思います。
さて、今年から月に一度登る山を「脊振山」に限定しています。
具体的にそのようにした理由を、簡潔にかつ漢字を交えて説明してみますと
「なぜトゲトゲウミウシが家康ポイントでしか見れないのかを知りたい」ということになります。
山というのは成り立ちの時点で土の成分が違うわけですから当然生えている木の種類が違います。
風向きや高低差の差異によって、飛んでくる渡り鳥たちの種類も違います。
災害に見舞われやすい立地にある山は倒木が多く、川が多い山は苔がそこかしこに生えることになります。
繁殖活動をおこなう昆虫の種類にも違いが見られます。
つまり海と同じ独自の風景が広がっているわけです。
多様な風景から作り出された山の栄養分はそっくりそのまま海へと流れこみ、海の中の生活様式に影響を与えていきます。反対に海の栄養は山の中の生活様式に影響を与えていきます。
そこにある結びつきを肌身で感じ取るには、実際に山の中に踏み入るしかありません。(あるいは海の中に潜るしかありません)
もちろん僕たちは山の専門家ではありませんからそれがどういった種類の木であり、どういった成り立ちでそうなっているのはわかりません。でも視点をあっちこっちに向けながら、登ったり降りたりするうちに、必ずといっていいほど、自分なりの疑問や質問が立ち上がってきます。幼い子供が浮かべる笑みのように。
その疑問を効率的に生み出すための能力を開花させるためには、定点的な山をひとつ決めておいて、一年じっくり通うほうがいいとおもったわけです。
そもそも疑問を生み出さないことには、答えをみつけようとはしないわけですから。
疑問を生み出す作業というのはある種、地べたの視点からものを見る思考実験みたいなものです。
こういった思考実験を繰り返していきますと、自分の頭の中に確固たる免疫性のようなものがを作られていきます。
丹念に繰り返すうちに思想的支柱ができあがっていきます。
それがある意味で人間的成熟を促し、大胆な発想をすることができる「たね」となり、個人的概念設定が生まれます。
自分の頭を使って思考する力を持っていない人、あるいは思考するのが嫌いな人という人というのも少なからず存在しています。
そういった人たちはほとんどの場合、目から入ってくる情報(即物的で利己的なテレビやマスコミから発せられる情報)あるいはバイアスのかかった他人や親の意見にいとも簡単に惑わされます。(なんでそんなことを信じているんだろうという人を見かけませんか?案外おおいんですよね)
偏狭的な社会の歯車に乗せられていても盲目的に進んでいく人というのはそういった類のひとたちであるというのは衆目が一致しているところです。
そして疑問というのはなにがなんでも答えを出さないといけないというわけではありません。そっくりそのまま疑問の状態でとっておいてもぜんぜんかまわないのです。ちらっと頭の隅っこに留めておくだけでいいんです。
気になって眠れない人は図鑑を引っ張り出してきて調べてもいいんですけど。
最近では答えをすぐに出したがる即席主義(即効性、功利性思考)が横行していますが、物事というのは(科学的な見地だけでは物事が成立していないように)複合的にかつ立体的に絡みあっています。固有のシステムが存在しています。ひとつの側面からひとつの答えを見つけてだしてきてもそれがどれだけ自分にとって正しく必要なことなのかは時間というものさしを通してみないことにははっきりとわからないものなのです。
ですから、その答えをみつけたくなったとき頭の隅からこっそり取り出して調べるくらいで丁度いいんです。
そうがんばる必要はありません。
あと、山に登る理由として(個人的な理由としては)山の風景を記憶しておきたいというのもあります。
たかが風景じゃないか、そんなもの写真で見ればいいじゃないかと言うかもしれません。もちろんその通りなのですが、僕はその風景を単なる風景として捉えるのではなく、自分の心や身体の一部に付託させていきたいと思っています。そしてそういった作業そのものが重要なのではないかと考えています。
そのためには自分の足でその場に立ち、自分の目で眺め、匂いを嗅ぎ、実際に触り、脳裏に刻み込まなければなりません。
つまり身銭を切るということです。
そして20年後、30年後、そういった場所で抱いた息の詰まるような喜びや感動、果たされなかった想いのようなものをいくつ持っているのか(僕は5ダースくらいは持っておきたい。よくばりなんです。)あるいはどれだけそこに深くコミットできていたのか。人生においてそういったことが大事なのではないかと思っています。
ちなみにですが、思い出の少ない人は、人生はからからにひからびた砂漠のようになってしまいますから注意しましょう。
体の動くうちが華です。はりきってがんばりましょう。
というわけで、山のブログ本編は水曜日に書いていきたいと思います。なかなかこころ温まる愉快な登山でした。
RIO