二日目の朝。
女子たちは朝からお散歩に出かけた。
知床は半白夜なので、AM3時30分から外が明るくなってくる。
朝ごはんの時間まで4時間も自由にできるのは北海道だけです。
得した気分。
満開の蝦夷山桜(エゾヤマサクラ)を見つけた。
北海道の桜は寒いほど色が濃くなるという性質があるそうだ。
この辺にソメイヨシノはありません。
キタキツネさん。
朝と夜によく動く動物。
雪解け水が流れる羅臼川。
鮭が上がってくる通路みたいなのものがあった。
山の方はまだ雪が残っている。
知床横断道路は8時から17時以外の時間帯は通ることができない。
山にかかる霧たち。
反対側のウトロでは霧がかかりにくく、羅臼は霧がかかりやすいと言われています。
何かを踏んだ。
店長は異変に気付き、すぐさま右足を上げた。
踏んづけたのは、前日の雨でふやけた鹿のうんこだった。
全体重をかけていなかったおかげで、スニーカーの端っこに少しついただけだった。
それを見た少しまゆみさんは少し自慢げに、
「わたし、このスニーカーは海に履いてこないタイプのいいやつなんで、足元には十分気をつけて歩いています」と言った。
ホテルに帰りつくと、まゆみさんはある異変に気がついた。
靴の底一面に、鹿のうんこがついていたのだ。
無防備に体重をかけてしまったせいで、靴の側面にまでうんこがこびりついていた。
まゆみさんは苦笑いをしながら、水たまりに足を入れた。
しかし、靴底一面についたうんこはなかなか落とすことはできなかった。
「あたしゃついてないよ」
その頃、ラムちゃんとあやかちゃんは往復5km歩いて羅臼神社に参拝していた。
元気すぎて怖い。
あやかちゃんは、靴底にうんこをつけて帰ってこなかった。
あやかちゃんの場合、靴底にうんこがついていたら、チョコと間違えて舐めてしまいそうなので、踏まなくてよかったと思う。
「わたし、チョコとうんこの区別くらいできますわ」
徒歩とうんこで疲れた足を足湯で癒す。
ホテルの中に足湯があるのは最高です。
本日の朝ごはん。
鮭とイカが美味しかった。
まゆみさんは茶碗3杯食べました。
車で15分のところにある番屋に向かう。
ここにくるとおばあちゃん家に来たみたいにほっとする。
白瀬にこんな番屋が立ってたら、今よりきっと白瀬を好きになる。
談笑は後回しで、機材のセッティング。
僕と店長とフジコは3回目。
慣れたものです。
この日、岩側の護岸でなにやら工事していた。
がちゃん、がちゃん。
今回ガイドしてくれるのは、左からニークラさん、関さん、アオヤギさん。
昨年の8月来たときは、体調を崩されて欠場していたアオヤギさん。
今回は元気いっぱいガイドしてくれました。
僕と大ちゃんとサクサクとあやかちゃんとラムちゃんは、心穏やか優しさ全開アオヤギさんチームになりました。
店長とまゆみさんとザッキーさんと朝顔さんとふじこさんは、ちょっと厳しめニークラさんチーム。
ブリーフィングの内容は、
1本目は、番屋下から入って、番屋下に戻ってくるルートです。
本当は岩の方で上がりたかったのですが、工事をしていて無理そうです。
見れる生物は、オオカミウオ、アツモリウオ、クマガイウオ、ナメダンゴウオ。
ササキテカギイカも見れる季節です。
ササキテカギイカは2mちかくあります。
普通のイカは海藻に卵を産みつけますが、ササキテカギイカは腕の中に卵を抱えて泳いでいます。
普段、深海に住んでいるのですが、卵を産む時期だけ、卵を持って浅場に入ってくるので、ここでも見るチャンスがあります。
是非、見つけたいと思います。
中層には色々な浮遊系が浮いていますが、中にはクリオネがいるかもしれません。
探してみてください。
ナイトダイビングを含め3本潜る予定です。
窒素が蓄積していくので、潜る時間は1本あたり40分前後です。
40分はちょっと短いので、50分にして欲しいと願い出たが却下された。
実際のところ、なし崩し的に40分以上潜ったわけだが。
3本指グローブ、全面フード、ヘビーウエイト、重ね着インナーに慣れていない人たちはエントリーまでかなり苦戦していた。
ガイドのお三方は水面にぷかぷかしながら、「まだかな〜」と首をなが〜くして待っていた。
朝顔さんとふじこさんがフィンを履くのに手こずっていた。
「手伝ってあげないと一人でできませんよ!!!怒」とニークラさん。
「はい!やります!」と小気味のいい返事をするまゆみさん。
フィンを履かせるのは弟子の仕事。
朝顔さんとフジコさんは足を投げ出して、寝ていればいいのです。
潜ってすぐ、朝顔さんのマスクに水が入ってきた。
水中での調整は不可能だったので、朝顔さんはニークラさんと一緒に水面に上がることにした。
ニークラさんは「もっとこうした方がいい!怒」とアドバイスはするものの決して手を貸すことはなかった。
ニークラさんはなんでも自分でやらせる体育会系スタンスなのである。
底水温ダイビングに慣れていないと、プロであれ、ベテランであれ、初心者風情に逆戻りしてしまう。
あやかちゃんですら苦戦していた。
寒ければ寒いほど難易度が上がることを身をもって実感できたと思う。
まゆみさんは、鼻の下の皮膚が露出していても冷静沈着。
さすが流氷経験者といったところ。
海の中には親切にもガイドロープが敷いてあった。
このロープをつたっていけば、迷わず浮かず深い方へとナビゲートしてくれる。
工事の影響で手前はかなり濁っていたので大変助かった。
砂底に変わるやいなや、美味しそうな毛蟹が現れた。
関さんは毛蟹が似合う。
急ぐこともなくトコトコトコトコ歩いてどっかに行ってしまった。
動きまで、関さんに似ていた。
砂を滑るように移動するエゾタマガイ。
ベロを出しながらノロノロ。
なぜだかわからないが僕はこの貝が好き。
砂の上には海牛が寝転がっていた。
コザクラミノウミウシ。
知床の生物たちは種類に関わらず、おおらかな性格をしている。
オニカジカの「黒」。
まだ図鑑ではオニカジカとしか載っていないが、もうすぐ分類が分かれると関さんが教えてくれた。
ヒレが大きいのでこれはオス。婚姻色になると、縞模様がもっとはっきりしてくるそうだ。
カレイの稚魚。
体が透明なので、なんのカレイかはっきりわからないが、クロガシラガレイ、マガレイ、カワガレイ、イシガレイ、ソウハチのいずれかである。
体が透けていても、ちゃんとカレイっぽく動くところがなんともいえない。
先に進むと、岩場ゾーンに入ってくる。
ザッキー(オレンジ)のGOPROについている2本のツノのような「棒」は、外付けマクロレンズのピント距離感を教えてくれる。
モニターを見なくても撮れる優れもの。
ホッカイミノウミウシが出てきた。
寒いところにしかいないウミウシである。
ウミウシってこんなに寒くても生きていけるんだと感心させられる。
水深10mも行くと、水温は1.7℃まで下がる。
水面は3.8℃だったので、一気に寒く感じる。
手の冷たさは個人差があるが、1本目だとあまり寒さを感じないのは毛細血管が完全に収縮していないからだと思われる。
今回のお目当て魚の一つ。
「アツモリウオ」がいた。
超絶美少年、平敦盛から名前を頂戴した魚である。
さかなクンも大好きな魚。
とってもおとなしい性格で、ライト当てられてもじーっとしている。
見れば見るほど、北海の海には、似つかわしい魚である。
アップにすると、顔天狗だ。
シモフリカジカがいた。
日本の魚の原点みたいな魚。
シモフリカジカを見ていると懐かしい気分になれるのは、カサゴとメバルとアイナメとアナハゼとマハゼを混ぜこぜにした風貌をしているからだろう。
こういう類の魚たちは、南に行くにつれ数が減っていき、奄美大島くらいまで南にいってしまうと完全にいなくなる。
僕は生まれも育ちも本土の人間。
海の中にはどんな魚がいるの?と聞かれたら、カサゴとメバルとアイナメとアナハゼとマハゼの顔は上位で浮かぶ。
反対に、赤道系の魚たちのことは、大脳を使わないと思い出せない。
先祖代々何万年も食べてきている僕たちの体の中には、カサゴの遺伝子が組み込まれているのかもしれない。
未来永劫カサゴには頭があがらない。
もし、潜水の事故で死ぬことになったら、エゾメバルに囲まれて死んでいきたいと思う。
水温が低いので岩のかげでじっとしていた。
夏になると大群になって泳ぎ回るが、まだその時期ではない。
これはケムシカジカ。
写真で見るとすごい形をしているのがわかる。
猛毒のヒレを持っていそうだが実際は無毒な魚。
産卵行動の様子を観察してみたい。
店長とフジコは潜る前から見たがっていたが、アオヤギさんチームしか見れなかった。
これはチシマトクビレ。
砂地を音もなく移動する。
何かに怯えるでもなく、何かを捕まえるわけでもなく、移動したいから移動するといった感じ。
東京という言葉がピッタリの魚。
無関心ってこと。
これもアオヤギさんチームして見れていません。
海藻の上にはエゾクサウオの幼魚が乗っていた。
赤ちゃんなので、内臓が透けていた。
よく見ると、めちゃくちゃ可愛い顔をしている。
何分でも見ていられるけれど、何分でもいられないのが北の海。
ウーパールーパーみたいな魚が水温1℃の海中にいるのがとても不思議。
これは見たかった魚の一つ。
「ナメダンゴウオ」。
もうすぐ産卵が始まるらしく、体は丸々太っていた。
ぎりぎりワイドでも撮れそうな大きさだった。
これもアオヤギさんチームしか見れていません。
知床の海には浮遊系の生き物が無数にいる。
これはオキアミだろうか。
くねくねしながら泳ぐウミグモ。
撮るのが難しい。
なんで浮いているのかわからないゴカイの仲間。
これはズキンクラゲ。
わざわざライトトラップなんてやらなくても、被写体が無限にいる。
鈍感な人でも、知床の海の豊さは何かしら感じることができると思う。
1本目が終わった。
「めっちゃ楽しかった〜〜!」とあやかちゃんが言った。
僕の見る限り、あやかちゃんは相当手こずっていた。
水温1℃の世界では、全身の血は体幹部に集まるため、末端部分の手は痛かったはずだ。
それなのにあやかちゃんは心から楽しんでいた。
あやかちゃんはすでに日本のダイバーに成長していたのである。
番屋に戻れば、厳しかった海のことをリセットできる。
やっぱり一つ白瀬に欲しい。
1時間が経過した。
南西風が強く吹き出して、沖から白波が立ち始めていた。
こうなってしまうと羅臼のポイントは全てクローズしてしまうらしい。
急いで撤収して次のプランに移行する。
我々にはがっかりしている暇はない。
時間は有限なのである。
5/18の早朝(AM2時出発)に行こうと思っていた、野付半島に、午後から行くことにした。
野付半島は羅臼から約70km。
ワレカラみたいな形をした細長い半島であり、内側は湿地帯になっている。
野付は野鳥の宝庫と言われている。
今までに約260種類の野鳥たちが確認されている。
その数は日本で確認されている鳥の約40%を占めている。
雲は流れていた。
道路脇ではエゾジカの家族たちが歩く。
エゾジカ店長。
野付ネイチャーセンターの駐車場にはキタキツネがエサを求めて近付いてきた。
人間からご飯をもらっているせいか、毛並みが悪い。
「塩の取り過ぎ」が原因である。
変なもん食うなよ。
双眼鏡を覗くと、キョウジョシギがいた。
ゴミを拾ったら、泣きそうな顔になっていた僕。
灯台を目指して歩く。
反対側はオホーツク海。
羅臼と同じ海岸線だが、風の当たる向きが違うので、波は小さかった。
「トドがいる!」とふじこが言った。
堤防からはよく見えなかったが、
近づいてみると、トドの屍が横たわっていた。
ふじこは本当によく野生動物を見つける。
僕たちがくる直前に、キタキツネの親子3頭が逃ていたから、これを食べにきていたのかもしれない。
3月の知床ツアーでも訪れた野鳥観察小屋に向かう。
この小屋に入ると湿地帯の野鳥をじっくり観察できる。
はくちゃんはいなかったが、キンクロハジロとオナガガモがいた。
オオジシギとキビタキもいた。
カモメ系はたくさんいすぎて、どれがどれかわからない。
ウミウも多い。
小屋は窓が開いているので、冷たい風が入ってくる。
僕はユニクロのトレーナーしか着ていなかったので体が冷えまくっていた。
ラムちゃんは下にあったかそうなのを着ていたので、ウインドブレーカーを貸してもらった。
ちょっと小さかったけど着れた。
ラムちゃんはオーバーサイズを好むため、ラムちゃんが持っている服はどれでも着れると思う。
おかげで風邪を引かなくてすんだ。
それにしても、ラムちゃんというおなごは、植物の名前に詳しいし、みんなを盛り上げるし、足腰が強いし、勉強熱心だし、車の運転上手いし、パンを作らせたらプロ級だし、山のことにも詳しいし、控えめに言って最高だ。
皆さんもそう思いませんか?
ほんに素晴らしい。
これくらい褒めておきますと、ラムちゃんは太っ腹になりますので、上着は持っていかなくても大丈夫になります。
18時、野付半島を出発。
大ちゃんをもうすこし太らせたら、池中玄太80キロの主役をはれそうな気がする。
もっと食べさせて80キロになったら、ショートムービーを撮ろうと思う。
生徒も大喜びすることだろう。
さよなら野付のしかさん。
また会う日まで。
海沿いの1本道を戻る。
鮮やかだった新緑の木々たちが淡い色に染められていた。
目頭がしばしばしてきた。
頭痛の波が押し寄せてくる。
昨晩、満足に寝れていないせいだろう。
陽が沈んだ直後、ホテルの駐車場についた。
夕食を食べ、温泉に入り、22時前に布団に入った。
昨日とは違い、僕の意識は深い孤独の中に吸い込まれる準備ができていた。
さちことまゆみとふじことラムとあやかは散歩に出かけた。
温泉で温まった体は、数分もかからないうちに平温へと戻っていった。
空を見上げると満天の星が輝き、林の奥では対になったシカの目がミラーボールのようにいくつも光っていた。
熊の湯まで数百メートルまで来たところでまゆみが言った。
「なんか嫌な気配を感じます!右足も重くなってきました!戻った方がいいです」
「大丈夫だって!気のせいだって!」とラムが言った。
「いや、ここは危ないです。ここにはいられません。お願いします!」
「いいじゃない。もう少しで着くんだから。あんたはいっつも気にしすぎなのよ」
熊の湯まで残り500mのところにある知床羅臼ビジターセンターについた。
羅臼ビジターセンターの建物は、上から見ると十字架のような作りをしており、入り口にはフクロウの剥製のようなものが置かれていた。
「なんでこんなに星が輝いているんだろうね〜。ずっとここにいたいな〜」と楽観的な声でラムが言った。
まゆみはフクロウの前でうずくまった。
「初めはただ暗くて怖いだけかなと思っていたんですけど、右足重くなる系のやつです」とまゆみは小さくつぶやいた。
隣にいたサチコだけに聞こえるように。
「イタコ的なやつが出たの?」とサチコは聞いた。
「そうです。ここにいるのはとても危険です」
「帰った方がいいのかしら?」
「はい。元いた世界に戻りましょう。」
突然、意識が戻った。
北海道の部屋は、年中Tシャツで過ごせるよう温度設定されている。
トレーナーを脱ぐ前に寝てしまったので、背中が湿っていた。
スマホを傾けると「23 48」という4桁の数字を示していた。
車輪が錆びて回らなくなった台車を引きずるような音が部屋中に反響していた。
その音はあまりにも規則的なリズムであったため、はじめどこから鳴っているのかわからなかった。
知床特有の漆黒と静寂は、その高踏的な一音により十重二重に包囲されていた。
やがてホテルそのものが大型動物として機能していくような気がした。
僕の肉は睡眠不足を訴えていた。
柔らかなカオスがひたひたと押し寄せてきた。
可能な限り有効な選択肢を思い浮かべてみたが、僕が要求している答えは何一つとして見つからなかった。
人生には問題を解決しないという選択肢がある。
問題はあくまで問題として棚上げしておくことで、この世界にいることから僕自身を切り離してしまうという選択肢だ。
僕は、ノイズキャンセリング世界一と称されるワイヤレスヘッドフォンを耳から外し、靴を履き、ドアを開け、廊下に出た。
廊下特有の冷たく乾いた空気が充満していた。
僕は静かにドアを閉め、短パンTシャツでロビーへと向かう。
死線を彷徨うとはまさにこのことだった。
VOl.3に続く