休憩中、道の駅羅臼にお土産を買いに行った。
ダイビングの合間にお土産を買うのはちょっと新鮮。
今回、時期的にホタテはなかったが、牡蠣新鮮。
冷凍のミズダコは年中おいてある。
トドの肉とミズダコと鮭とホッケ、合計4個の冷凍海産物を実家に送ったのだが、喜ばれたのかは不明。
まだ食べてないと言っていたので、微妙だったのかもしれない。
でも、トド肉は焼肉にして食べたら美味だとテレビのレポーターが言っていた。
食べたことがある人は感想を聞かせてください。
羅臼土産の4番バッターといえば羅臼昆布。
これを買って帰らないわけにはいかない。
下に見えているちょっと高そうに見える羅臼昆布をカゴに放り込んでいたら、
「これはいかん。こっちがいいんよ。22回の工程を経ている割に安いんよ。うまいからこれを食べてみてしょ」
23工程で完ぺきな羅臼昆布になるらしいが、800円で22工程を経ているからお買い得ということらしい。
22と23の違いで数万円の違いが出てくるわけだ。
最後の1工程では何が行われているんだろう。
23工程目に余程めんどくさい作業が行われいるんだろうと想像してしまう。
精製が終わった昆布を海水で戻して、トドに味見をさせて、国後島に届くくらいの声でトドが吠えたら完成とか。
どうせなら、23を食べてみたい気がする。
数万円の羅臼昆布をお土産には買うほど裕福じゃないから、22で我慢するんだけどね。
ちなみに、ちょっと高そうに見えた羅臼昆布は2工程しかしておらず、煮物の出汁くらいにしか使えないらしい。
サンライズ組は合計30袋ほど購入してしまった。
(サンライズは18個買ってダンボールで送った)
昆布のおいちゃんの機嫌が良くなってきて、一袋その場で開けて僕たちに食べさせてくれた。
すると、試食と勘違いした観光のおばちゃんが割り込んできて、大きめの2切れ持っていってしまった。
豚道を貫く人間は、案外いるものである。
ゆっくり買い物をしたのに、まだまだ時間があった。
買い食いタイム。
何味か全然わからない、羅臼クリーム。
令和の時代にいらなくないか?
すぐ近くの寺で記念撮影。
なぜ、旅行に行ったら集合写真を撮るんだろうか。
令和の時代にいらなくないか?
翌日に乗るネイチャークルーズで先取り顔はめ。
顔はめがあったらやってみたくなるのはなぜなのか?
令和の時代にいらなくないか?
ネイチャークルーズ先取りお土産屋。
モンベルとコラボした商品がおいてあった。
羅臼昆布を食べて育った素朴なお姉さんがおつりを渡してくれます。
こちらのお店に売っていたTシャツを嬉しげに着ているお揃い兄弟。
このTシャツは、「生き物係」を担当してくれたフーミンにも買って帰ったので昆布3兄弟。
令和の時代にいらなくないか?
「いやいや、令和の時代だからこそいるんですよ」という、ザッキーの声が聞きえてきそう。
ラスト3本目はトド岩から入って、番屋前に戻る左流しコース。
ブルーアース21長崎の平野さん風にいうと、ビーチドリフトダイビング。
みんな慣れてきたので、準備が早くなっていた。
まず現れたのは、スケトウダラ。
日本で最も水揚げされている魚にもかかわらず、ダイビングでは見ることができないスケトウダラ。
理由は水深300m〜500mに住んでいるから。
スクーバダイビングは40mまでしかいけないので、260m足りないのである。
仲間が捕まりすぎて、死んだ魚のような目をしていた。
水中に浮いているブイにも1匹だけ、スケトウダラが浮いていた。
心優しきアオヤギさんが降ろしてくれた。
スケトウダラは、レオくんみたいに素直に誘導される性格。
やっぱり死んだ魚の目をしていた。
自分の子供を「辛子明太子」にされてしまうからだろうか。
シチロウオもあらわれた。
このカツオぶしみたいな魚はなんなの?
サクサクは不思議そうに眺めていた。
なんのことはない、トクビレの仲間である。
あたしの手がつめとぅい、あたしの手がぬれるぅ、あたしの手がいたぅぁい!あたしの足はいたくなぅい!
大ちゃんはどうなぅん??まゆこんぐちゃんうるさぅいブゥた!と独り言を言いながらも、サクサクは問題なく潜れていた。
えらいぞ、サクサク。
やるやないか、サクサク。
でも、サクサクが一番テンション上がるのは温泉の中なんだけどね。
とりあえず、ナメダンゴのことは舐めきっていたので、そこだけはやめてください。
メンチきるんはやめてください。
ナメダンゴはサクサクのことをどうかしてやろうと思ってません。
ぼ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この海に3本も潜っていると、脳が痺れてくる。
どの部位なのかと聞かれたら、前頭前野だと思う。
目は冴えているんだけど、頭が寝ている感じ?
窒素酔いとも違うし、酸素酔いとも違う。
でも、何かしらには酔っているし、何かしらに意識が働いている。
どっちとも取れないアンビギュアスな世界。
懐かしくも新鮮な羊水的世界。
この感覚を味わえるのは知床の海だけだと思う。
1秒でも長くいたかったなあ。
長くいたかったのは朝顔も同じ。
来年2月の知床ツアーに参加できない。
大好きな関さんに会えるのは今日までだった。
明日、会えればいいのだが、観光を済ませたらすぐ空港に向かわなければならない。
いつ会えるか未確定だと思うと、涙が溢れてマスクが曇った。
朝顔は右腕を天に突き出し、胸の中心で十字を切ると、静かにアーメンと何度もつぶやいたのであった。
ただ、一つの救いは生き物が逃げないこと。
朝顔は、北の魚たちに全神経を集中させることで、関さんへの想いを断ち切っていた。
ニークラさんチームのニークラさんはガイディングに勢いが出てきた。
ニークラさんチームの面々が、「このままではいかん!作りあげるぞ」という意識で、行動を変えていったからだと思う。
ニークラさんもサンライズの面々に慣れてきた、というのもあるけれど、「作り上げる技術」の及ぼす影響力の方が、圧倒的に強い。
ダイビングは一緒に潜っているダイバーの主体性(感性)を擦り合わせることで、いかようにも変化するからだ。
受け身すぎると主体性がガイドに偏ってしまい、何か物足りなかったと不満が生まれてしまうのは男女の関係にも似ている。
ダイビングスキルと共に主体性を持つことを心掛けてもらいたい。
ただ、一つ厄介なのは海の中は陸と違って、人間の根っこの部分があらわになってしまうため、主体性の暴走が始まることがある。
出し過ぎにも注意である。
クサウオの幼魚と思われる魚をガンガン見せてきた。
アツモリウオ(奥の方にいるのでわかりずらい)とクマガイウオの共演を見せてきた。
「これが源平合戦だ〜!」
ノリノリである。
最後の最後にオホーツクの深淵を攻める。
この時点で水深25m。
この崖を降りると水深60mオーバー。
それでこそニークラである。
見たいね〜と言っていた生物が見れたので、フジコはだいぶ満足した。
ただ、オオカミウオがニアミスで見れなかったこと、テカギイカの気配がなかったことが残念だったらしい。
この海は、いつ来てもコンプリートしたいと思わせる魅力がある。
さようなら。また会う日まで。
敦盛さん。
追伸
上がる間際のロープ沿い。
テカギイカの幼魚が浮かんでいた。
ここは水深が1.5mくらいのところだった。
波で振られる。
大ちゃんは懸命に撮影に集中したが、これが限界だった。
もっと修行しなければならないと思う。
それが知床の掟。
今回僕は、ちゃんまりへの当てつけとして、手袋の中にバブを入れた。
バブはもちろんセイコーマートで買ったものだ。
水温がプラスであれば、ちゃんと溶けることがわかった。
2本潜って、一個なくなる計算である。
ただ、荒めの砂利を握っている感じなのでとても非快適。
正直、バブはいらないという結論だが、入れたい人は遠慮なく入れてみてほしい。
昨年、関さんと同じカラーパターンのZEROドライを作ったラムとふじこ。
関さんと同じドライを着て、共に潜り、一緒に写真を撮るのが夢だった。
しかし、今回、関さんは違う色のZEROドライを着ていた。
あのドライは穴が開いてしまって、修理に出していたのだ。
やっぱり思い通りに行かない。
知床の奥深さを思い知らされた。
関さんとZEROドライの人たち。
ZEROドライはどんなカラーであっても、知床の海辺にもマッチする。
さあ、潜ろうという気にさせてくれる。
知床とZEROドライと関さんは、夕暮れの風と川べりの道路とサーブコンバーチブルに乗った大学教授の関係性にも似ている。
あまりにも自然で、あまりにも圧倒的すぎるのだ。
こんなに可愛くてかっこいいおじさんダイバーはなかなかお目にかかれないよね。
でも、僕は来年の2月の知床は、モビーでいく。
ZEROには負けない。絶対負けない。
なんのこっちゃ。
ご飯を食べて、温泉に入った後、知床ダイビング企画さんの事務所でログ付けをさせてもらいました。
背景の写真が、以前と変わっていることに気がつきましたか?
右三人の身長がほぼ同じだから、写真が見えやすいですね。
関さんを真ん中に、スケさんとカクさんがサイドを固める水戸黄門スタイルでログ付けスタート。
みんな緊張して、口数が少なかったね。
本当はもっと質問したり、談笑したり、肩を叩きあったりしたかったと思うのだけれども。
知床まできて、福岡のモラリスティックを発揮する必要はないんだよ。
喋らない代わりに、グッズを買ってサインをもらうのね。
無口な犬のように、行動によって関さんへの愛情を示すのね。
無言の推し活とはこのことなのね。
関さん、ニークラさん、アオヤギさん、関さんの奥さん、関さんの犬さん。
ありがとうございました。
またきます。
この日、ラストナイトだったので、みんなでトランプしました。
この部屋は追加料金を払って新しく取った部屋です。
ザッキーと僕だけ、一人一部屋になりました。
僕の睡眠時間は、3日間で8時間も取れていませんでした。
でも、AM2時までトランプしました。
最後まで残ったのは、ラムちゃんとあやかちゃんと僕の三人だけでした。
ここまでやったのは、寝たら終わってしまうから、ギリギリまで寝たくないという理由だったと思います。
そんなことを考えるのは、陽キャだからだと思います。
偉かったと思います。
廊下に出ると、あたりはしんと静まりかえっていた。
僕はみんなを起こさないよう、足音を立てなずに歩いた。
廊下はくねくねと折れ曲がり、どこまでも客室が続いていた。
自動販売機を置くスペースを通り過ぎると、廊下は右に折れ曲がり、地下に通じる階段があった。
地下の廊下のカーペットは上質で足音はしなかった。
試しに廊下の端から端まで歩いてみた。
1階と変わらないつくりだった。
廊下の真ん中には、廊下と同じ色で塗られたエレベーターがあった。
エレベーターは目立つ存在ではなかったがボタンのところだけは赤く光っていた。
僕は中に入って「1」と書かれたボタンを押した。
ドアが音もなく閉まり、かすかな移動の感覚があり、またドアが開いた。
エレベーターを降りるとそこは1階だった。
なんの匂いもしなかった。
まゆみは足を引きずり始めていた。
道路に街灯はなかったので、まゆみの足の異変に気がつく者は誰もいなかった。
一度でも立ち止まってしまうと、2度と歩けなくなる気がしたので、野生動物を探すことで気を紛らわせることにした。
あの時の助言を守っていたら、こんなことにはならなかったのだとまゆみは後悔していた。
やがて、道路は緩やかなくだり坂へと変わり、みんなの話し声は遠くなっていった。
「ホテルまでこんなに遠かったかしら?」とまゆみは思った。
蝦夷松の林はどこまでも続き、車は一台も通り過ぎなかった。
さっきまで活発に動いていた鹿やキツネたちは息をひそめ、知床の空には留保なく雲が覆い被さり、月の光を遮っていた。
羅臼観光バス会社の跡地についたとき、まゆみは「セイウチ」になりたいと思った。
セイウチになれば、羅臼川を泳いで戻れるからだ。羅臼川の行き着く先はオホーツク海である。
羅臼第一ホテルについた時、まゆみはホテルの階段を上がる気力は残されていなかった。
まゆみはエレベーターに乗り込み、「1」と書かれたボタンを押した。
エレベーターのドアは閉まり、微かな移動の感覚があり、ドアが開いた。
エレベーターを降りるとそこはやはり一階だった。
VOl.5に続く