唐津は雨だった。
梅雨末期のような大雨。Tシャツでは肌寒い。
ダイビングしている人は少なくて、連休中日とは思えない寂しさがあった。
22度のプールに戸惑うSotoさん。
寒がりな彼女。
震え出す前に終えなければならない。
数年前、別のダイビングショップにてライセンスのコースを受けていたので、ダイビングのスキル自体はうまかった。
ライセンスを持っていない理由は、器材の押し売りが強すぎて行かなくなってしまったからだ。
(講習は全て終えたらしいけど)
今もこういうお店は多数存在するので気をつけて欲しい。
「安売りのチラシみたいなホームページ」で営業しているところは警戒対象である。
「売る」という行為は非常に難しい。
信用、信頼、洞察力、知識、気遣い、人間性、話術、笑顔、、、
「売るための能力」を同時に発揮できる人でないと真っ当に売ることはできない。
本来、持っている「個人的才能」がモノをいう世界である。
なので、現代では売れる商人と売れない商人が混在している。
昔はそうではなかった。
江戸時代における「商人」というのは、職業人口の5%にすぎなかったので、みんなが欲しいと思うものを仕入れさえすればどんな商人でも簡単に売れた。
しかし、現代の商人は50%まで膨れ上がっている。
本屋に行けば、売るためのノウハウ本が溢れかえっているのはそのためだ。
ダイビングのように頻繁に買うことがない商材を扱うには、お客さんの状態を見極める能力が必須となる。
お客さん自身にダイビング商品に関する知識がほとんどないため、その商品が自分にとって必要か必要でないのかわからない。
今後、ダイビングを自分の中心的趣味としてとらえるのか、とらえないのかさえわからないのだ。
講習中にしっかりヒアリングを進めておき、このお客さんは今、買っておいて後悔も損もしないだろうと思えば一生懸命すすめるが、そうでなければ強くはすすめない。
この塩梅を知っておかないと、お店全体の信用を失ってしまう。
この塩梅というのは、わからない人には一生わからないし、わかる人にはすぐにわかるものなのだ。
これは僕の持論なのだが、お金を出して買うものの(サービスを含む)80%以上は、
「いらないもの」であり、あってもなくてもいいものだ。
だから、自分が満足さえしていれば、どれを買ってもいいし、失敗してもいい。
だって、どうせいらないものだからだ。
いらないというと誤解を招きそうなので、正確に言っておくと、
「生きるためだけに必要なお金」というのは、それほど高くない。
身長150センチ〜190センチくらいの生き物が、日本で暮らすことを前提に考えると、最低限必要な栄養と家と雑貨と衣料を買うには、月5万円もあれば足りるだろう。
残りのお金というのは、すべて、心を満足させるためのお金ということになる。
だから、僕は自分の心を満足させようと思ったらしっかりお金は使うようにしている。
なるだけケチくさいことはしない。大脳が欲するものにできるだけ従う。
大事なのは「満足」できたかどうかなのだ。
あるいは「思い出」に残ったかどうかなのだ。
それ以外に余ったお金の使い道なんてない。
そして、働けなくなったら、生活保護とか年金で暮らせばいいと思っている。
何を買うのか決まってもいないのに、せっせと貯金している人を見ていると、若さと寿命は有限なんだけどなあとため息が出てしまう。
日本人の「貯金は正義」は、戦後の日本政府が国を建て直すために作り上げた幻想なんだけどなあ、とこれまたため息が出てしまう。
(そもそも、お金がいっぱいあるとか、いい家に住んでいるとか、成功しているとか、そういうのは幸福感とは関係がないとイエス様もお釈迦様も昔から言ってるけどね)
話がそれまくってしまった。
講習は僕の話のように無駄はなく、どんどん進んでいく。
もちろん、そうしている間も体の体温はどんどん逃げていく。
SOTOさん、レギュレータークリアくらいまでは記憶にあったらしい。
しかし、中性浮力はやった記憶がないとのこと。
BC脱着もはじめてのスキル。
どうせ、ゼロからの出発なのだから、気にしない。
楽しければそれでいい。
次回も頑張ろう。
ギリギリ震え出す寸前で終えることができた。
さすがである。
RIO先生。
RIO