最近すごい勢いで雨が降っている。
その勢いで、今日はダイビングの極意を伝えたいと思う。
そろそろ梅雨もあけそうな雰囲気もあるので、このブログを読んで、自分がダイバーとして、どこに辿り着いているのか、ちょっと考えてみてもらえたらいいなと思う。
初心者の極意
「呼吸を会得する」
ダイビング中、肺の膨らみの加減が自己認識できていること。
それにより、中性浮力が楽にとれるようになり、ホバリングが完璧にできるようになったら、このステージは卒業。
中級者の極意
「ナビゲーションを会得する」
全神経を研ぎ澄ませ、コンパスを信頼し、地形を思い出し、自分たちの行きたいところに、自分たちの潜りたい時間だけ潜れるようになる。(1つ以上のダイブポイントでできればよい。)
ガイドについて行くダイビングだったとしても、自分はどこにいて、どの方向にどの程度行けば帰れるのか大体理解している。
これができていれば、このステージは卒業。
上級者の極意
「海への理解を会得する」
生物がどこに潜んでいるのか、どこから魚が入ってくるのか、濁ってくる潮、暖かい潮、活性が上がる潮、下がる潮など、海全般の総合的理解が深い。
例えば、左から風潮、右から底潮がぶつかっているな、これは水面にいるとどんどん水道側に流されていくから、さっと潜降して、右の潮に乗っていこう。
海がわかっていると、お目当ての生物を見つけるのも早い。
上級ステージは、奥深いため「道」のようなもの。
永遠に追求していくものでもある。
最上級者の極意
「クリエイティブを会得する」
海に潜ることで、無から有を生み出せるようになれる。
例えば、小説、詩、短歌、映像、絵画、写真(記録用ではない)、楽曲などが一般的だが、別になんでもいい。
経営感覚でもいいし、営業ツールでもいいし、会話の幅でもいい。
創造性を高め、創造物と向き合い、創造物に喜びを見出すことで、ダイビングというレジャーは一つの完結を迎えるのだ。
自ら頭を悩ませ創ったものは一生の宝になるし、年をとってからの最上級のお楽しみ袋となる。
一眼カメラを水中に持っていって、クリエイティブなことを楽しんでいるダイバーもいるが、
それだけではダイビングの最上級ステージにいるとは言えない。
水族館に行って、魚の写真を撮って楽しんでいる人という認識である。
海そのものを理解し、愛していないと、創造物に奥深さが出ない。
関さんが知床の生物を撮って作品にするのと、初めて知床に潜るプロカメラマンが写真を撮って作品にすることは「全然違う」のと同じだ。
そのためには、第一ステージから段階を踏んでここまで辿り着かなければならない。
また、誰かの真似をしたような写真を撮って褒められたとしても、最上級のステージにはいないのである。
水中写真、水中映像は、技術的なことが必要になるので、初心者の段階から勉強しておくと、後々その技術が生かされてくる。
興味のある方は、ぜひやってみてもらいたい。
ちなみに、
魚、貝、クラゲ、ウミシダ、カニ、エビ、ナマコ、ウミウシ、海藻などの知識が深くても、ダイビングの極意とはあまり関係がない。
海を知るということは自ずと生物のことも知ることになるわけで、生物のことだけ詳しくても、海のことを知っていないとそれは生物学者もどきとなる。
また、生物を知ることも「道」のようなもの。
ダイビングを極めていく以上、生物の知識は切っても切り離せないので、永遠と勉強していくことになる。
とまあ、つらつらと「極意」を書いてきたわけだが、あくまでこれは私個人の考え方であり、個人的哲学でもある。
ある程度ダイビングを真剣にやってきた方であれば、「ふむふむ。言われてみたら確かにそうかもしれない。」と、うなずいてくれるのではあるまいか、と勝手に思っているわけだが、万人にこの考えを強要するつもりはない。
ダイビングに極意?
何それ?
ダイビングって、魚見て、酒飲んで、踊って、ぐーぐー寝て、朝起きて最高の気分になれてればそれでいいじゃん!
頭を空っぽにするために潜りにきてるんだしさ!
休みの日まで、勉強したり頭使ったりしなくちゃいけないなんて、ダイビングやってる意味ないよ!
中性浮力が取れて、フィンキックができて、ガイドさんにはぐれずついていけたらいいでしょ!
とおっしゃる方がいれば、それが正解である。
それが哲学である。
こちらとしても、「ふむふむ。確かにそうかもしれない。」と答えるほかない。
でも、内心、「日本の海をカッコよく!」がサンライズのテーマだからなあ。
やれやれ。
RIO