一番最初に恋の浦で潜ったのはいつだっただろうか。
たぶんだけれども、薄毛のことなんか微塵も気にせず激しいブリーチを繰り返していた20代の前半付近だと思う。
たしか、僕は何かの講習を受けるために潜ったはずだ。
中性浮力もよくわからなかった僕はタンクを背負って、沖まで泳いだ。
そして尻餅をつくように潜降した。恋の浦の広くてしろい砂地のことは覚えている。
でもそれが誰と一緒だったのか、どんな風に潜ったのか、何を習ったのかは思い出せない。
ごっそり消えてなくなってしまったというわけではなくて、写真に映したひとつの風景がバラバラにされてまとまりを欠いたまま保管されているような感じなのだ。
実を言うと、そんな無数の断片図のようなものが時系列を無視して僕の頭のなかにほったらかしにされている。
きちんと整理ができればいいのだけれど、次から次へと無秩序に落ちてくる新しい断片図のせいでもう何がなんだかわからない。
だからこのブログはそういう意味でも一役買っている。
あれから20年以上がたった。僕は43になった。
今ある時間は推論上、階段状に積み重なっているという証拠でもある。
時間が誰かと共謀していなければの話ではあるのだが。
僕の記憶のなかにあるこの景色は変わらずそこにあるし、それは一片たりとも損なわれることなく変わってはいない。
これまで僕の目の前をゆっくりと(時には足早に)通り過ぎていった人々はどこにいってしまったのかわからないけれど、これから先も変わらずこの景色を背景に通り過ぎていくはずだ。
視野に収められたこの風景はとめどない記憶の渦の中に巻き込まれ流されていくことだろう。そして形を変えて片隅にそっと積み上げられていく。
恋の浦にはアンドンクラゲたちがひと塊となって浅瀬を占拠していた。あるいは準拠していたのかもしれない。
この時期の海における規範のひとつであるかのように。
水面でぼんやり浮かびながらそんなことを考えていました。
素潜りは見守るのが仕事です。その間いろいろなことを考えます。
長くみまもっていると、必要最低限以上、みまもりが上達していきます。
みまもりのスキルがあがるとどんな仕事で役に立つんだろう。
遠くの方ではスキューバチームも準備していました。BCを背負ったりバディチェックをしたり。
素潜りは準備にも片付けにも時間がかかりません。それは素潜りをするうえでの最大の美点かもしれません。
最終日のえとうさんは僕に見守られながら、黙々と素潜りと海に向き合っていました。
そうやった結果、率直な感想はうまくなっていたということです。
やはり、素潜りはそういうものです。むしろ、そうでなければいけません。
2日目の悪夢が嘘みたいに新しいスキルをトントンこなしていきました。
最終的には合格点をあげられるところまではきていました。
実際は、合格も不合格もないんですけど、まあよくできていたということです。
よくできていたというのは僕の主観であるわけですが、結局、僕の主観でしか判断がつかないのでそこは多めにみてください。
おそらくですが、このまま続けていけば、立派な素潜りダイバーになれると思います。
地元の海でも続けて頑張ってください。
RIO