たつぼうから唐津くんち写真が届いた。
せっかくもらったので一気に載せようと思う。
わ、わ、わたし、高校野球の監督みたい。
高校野球の監督で思い出したけど、
昨今の若者は、子供の頃に怒られる回数が少ないと聞く。
20代に入っても怒られる経験がなく、他人に怒られることを異常に怖がる傾向にあるとも聞く。
彼らは、海のヤドカリのようにビクビクしながら誰かの顔色を見ながら生きているという感じだろうか。
怒られることは誰しも嫌だけど、別に殺されるわけではない。
なんだこいつ、あほやんと、聞き流せばいいんじゃなかろうかと思うんだけど。
何を隠そう、僕は幼少の頃から「怒られる側のエキスパート」である。
親から目の敵にされて怒られてきたし(母親は手が痛いからという理由で凶器を使って殴ってきた)、優しい親戚のおじさんも僕にだけキレてきたり、学校の先生にビンタされる回数も明らか多かったし、知らないおじさんから車の外に出されて殴られたり、おおらかで有名なおばあちゃんからマジギレされたり、中学校、高校、専門学校の先輩からもやいのやいのキレられて、社会人になっても上司から怒られまくって、友人からもガンガンキレられてきた。
ちょっと前に、サンライズの向かいのマンションに住んでいるおじさんに怒られた。
ここは待合所じゃないんだって、メガネ屋の前に荷物置くなって。
不動産屋にも、鳥がうるさいって怒られた。
今日も店長に仕事の邪魔するなって怒られた。
でも、タイにいたときだけはなんの努力もしていないのに一回も怒られなかった。
なんだ、俺って日本に合ってないだけじゃん!って心から思ったので、今でも死ぬほどタイが好きなのだ。
そもそも何でこんなに怒られるのか、自分でもわからない。
自分勝手で自己中で人を馬鹿にするくらいしか理由が思いつかないんだけど、みんなはどう思う?
20代も後半にもなってくると、免疫がつきすぎているせいか、怒られる瞬間から怒られ終わるまで、なんにも思わない人になってしまった。
記憶には残るが感情には残っていない感じ。
こいつを次怒らせたら手が出てきそうだなと思った時だけ怒らせないよう努力はするんだけど、そうでなければ別に怒らせてもいいやと思ってしまう。
(さすがに今は怒られないように努力しているぜ!)
あんまり怒らせるとやがてなんもいわれなくなる。
そして、完全にあきれられて、嫌われる。
さよなら。
殴られないようここまで持っていくのもなかなか大変なのである。
人間関係が終わっても、人間は無限にいるんだから、別にいい。
そのスタンスは今でも変わっていないけれど、10年以上もお店をやってきたせいか、人に対する感謝の気持ちが出てきて、「別にいい」とか思わなくなってきた気がする。
僕は生まれつきヘンテコな性格に生まれついてしまっていたことなどツユ知らずスクスク成長してきた。
小学生に入ると、母親から「あんたは性根が腐っている」と、ことあるごとに言われてきた。
(性格は遺伝の影響が大きいから親のせいでもあるんだけどね)
そんなこと子供に言う母親って変じゃないww
芸人は頭が少々おかしくても、キャラやネタが面白けば生きていける。
逆に性格がよくても、なんの個性もなければ、芸人にはなれない。
捨てる神あれば拾う神なのである。
心優しいおばあちゃんに「あんたはこじきになる!」と断言されて、おばあちゃんは死ぬちょっと前まで僕にそれを言っていたのを思い出すww
心配かけてごめんよ。
僕の結論としては、怒られることが怖い人は、怒られそうな場面で逃げまくる。
もし怒られてしまったら安全なところで傷を癒す。
人生逃げ切れたらそれでいいやん。
高田純次の人生訓「ただ、生きる」を参考にww
上司に怒られるのが嫌で転職を繰り返して、歳をとって仕事変えられなくなってしまった。
怒られることから逃げらなくなってしまった。
そうなったら怒られることに慣れる努力をしてみよう。
怒られることは、ゴキブリとか蛾を触るのとあんまり変わらない。
繰り返せば慣れるし、慣れたら何にも思わない。
でも全然怒られることがなくなり、たまに怒られると びっくりするwww
怒っている人の顔を見て、笑いが出そうになれば合格である。
一番損なのは、怒られるのが嫌すぎて行動が鈍ってしまうこと。
「どれだけ知識をつけても学者になってはいけない、人間は行動が第一である」と
吉田松陰先生が言っていたように、行動を鈍らせたら人間終わりである。
今の若者は失われた30年で生まれ育っているから、基本何にたいしても熱くない。
この議論は長くなるから今日はやんないけど、まだまだ日本にはチャンスあると思うけどね。
RIO