今日は登山に行ってきた。
場所は宝満山。
古くから大宰府と密接に関わった歴史があり、古代から近世の遺構が多く残っており、日本の「山岳信仰」のあり方を考える上で重要な山として2013年10月17日付で文化財保護法に基づく史跡に指定された
山名の由来
- 神仏習合によってこの山に鎮座する神が「宝満大菩薩」とされたことから。
- 大宰府政庁の鬼門(北東)の方位にあたり鬼門封じの役目といわれている、京都御所における比叡山と同じ、伝教大師「最澄」も宝満山で祈祷をしたといわれている。
- 太宰府天満宮の手水舎は宝満山から運び出した岩で造られたもの。
と、宝満山は山全体が神社みたいな山なのだ。
なので、麓にある「竈門神社」参拝から登山は始まる。
買い物に時間をくってしまって予定時刻より遅れていた。
現地集合だったひろしは、すでに自宅から7km。1時間30分かけて歩いてここまできていた。
こんな元気な中年男性がいるのかと驚いた。
肉ばかり食べると元気になるのだろうか。
きゅうと並ぶとあやかちゃんは小人に見えたし、足が短く見えた。
比較対象があるというのは目の錯覚を生み出しやすい。人類の大脳はまだまだ未熟だ。
あやかちゃんは決してちびではないし短足ではないのだから。
登山口までは舗装路を5分歩くと見えてくる。
宝満山登山はほとんどが石段登山。山から切り出した天然岩で作っているので不規則でバラバラ。
これが結構歩きづらい。しかも結構蒸し暑い。
ひとりだけ登山にも気温にも釣り合っていないひとがいた。
りんご以外は全員運動不足状態での参加だったので、ことあるごとに休憩をいれることにした。
鳥や植物を観察するという目的もあったので休憩自体は都合がよかった。
ただ木に隠れて景色は見えなかったし、鳥や花も注意深くみていないと気がつかなかった。
動物を探すのは難しいのだ。
ただ、すれ違う多くの登山者との挨拶は都会にはない爽快感があった。
ここではコロナのことをすっかりわすれることができた。
半分ほどのぼると急な階段が姿をあらわした。100段はありそうだった。
なんの目的でこんな綺麗な階段を作ったんだろうという疑問が湧いてきた。
階段を一歩一歩登っているうちに、宝満山をきちんと登って降りることはできるのだろうか、という疑問の方が大きくなってきたのでそんなことどうでもよくなっていった。
標高があがると気温が下がってきた。
ひろしはお腹すいたお腹すいたと言いながらのぼっていたが、途中、松ぼっくり拾って嬉しそうだった。
ふわりとひろがった手のひらに収まる松ぼっくりは自分へのお土産だと言っていた。
形がくずれてしまうのを恐れてリュックには入れずにひろしは右手にそのまま持ったまま登っていた。
どこかにおいておいて帰りに拾ってかえればいいと誰かが忠告したが、それでは誰かに拾われてしまうからいやだとのことだった。
僕はこんなに可愛い中年男性をみたことがない。
頂上についたのは、2時間30分ほど登ったころだった。
霧がかかり気温は10度。冬へと逆回転したのかと錯覚した。
冷たい風がふいていたので、急いでお昼ご飯を食べて降りることにした。
僕はトライアルで買ったエビチリを食べた。
本格中華の味がした。
焼きリンゴは焼いたリンゴの味がするはずだ。
空腹であればなんだってそうなるんだろう。大脳はやはり未熟だ。
上りは僕が先頭でペースが早かったせいで、鳥や植物を見れなかったと女子から苦情が出たので、帰りは「じゃんけんぽんグリコ」をしながらゆっくり降りることにした。
その途中、ネイチャーガイドふじこが青くて小さい鳥を見つけた。
雀を青く塗ったようなすばしっこい鳥だった。
13万円するニコンのハイエンド双眼鏡で覗くと、水っぽいうんこをして飛び立つところまではっきりと見えた。
木々の間から動物たちを素早く見つけるのは、もはやふじこにしかできない。
今度は和白干潟につれていって渡り鳥を見せてもらおう。
帰りの道中、ふくらはぎの筋肉が痙攣を起こして震えていた。帰りの石段が長く感じた。
一番震えていたのは予想通りテレワークのあやかちゃんだった。
二番はきゅうだった。
ひろしはどうもなっていなかったところを見ると、体重を十分に支えることができる強靭な足腰を備えているのだろう。
僕はちょっと階段恐怖症になりながらも、下山が終わったことにほっとした。
降りてすぐのところの定食屋でちょっとした乾杯をすることにした。
ひろしのおみやげの松ぼっくりは綺麗な形のまま、木の棒はその綺麗な松ぼっくりの引き立て役として持ってきていた。
ひろしは肉とビールとちょっとの松ぼっくりがあれば幸せなのだ。
ひろしとはここでお別れするとそのまま右手に松ぼっくりを持ったまま歩いて帰って行った。
僕らは「人と木」というアップルパイのお店で、6個だけ残っていたアップルパイを買い占めた。
疲れた体にはほどよい甘さが染み渡る。
庭にはまっくろくろが住んでいた。
最後はつくし野の湯で汗を流して帰路へとついた。
素直な感想としてはけっこう面白かった。
ただ、家族や友人たちと登るのと、ダイビング仲間と登るのでは面白さの質がまるっきり違った。
共有できる部分が共通している人たちと登ったことで、ダイビングしているような感覚になれたのだ。
それはのぼりながら、潜っているような不思議な感覚だった。
山と海の生態系はつながっているのだから、山のことを知ればさらに海が面白くなるだろうし、それに比例して経験値も知識もどんどん増えてくると思う。
2ヶ月に一回くらいは近くの山に登って、山頂から眼下に広がる海へと思いを馳せてみるのもいいかもしれない。
よって、今日からサンライズ登山部発進。
リーダーはひろし。
かな?
RIO