目を覚ますと、僕は手と足をしばられていた。
どうやら椅子の上に、座らせられているみたいだ。
漁師が使いそうなしなやかで鞭みたい白い細縄で、両手足をくくられている。
椅子の一部になったみたいで、頭を上下に動かすことくらいしかできない。
周りには、人口的な構造物は、何一つ見当たらない。
木に囲まれている秘密基地みたいな草原の真ん中に僕はひとり座っている。
太陽は木に遮られることなく、中空に浮かんでいた。
地面はまぶしいほどに照らされている。
けれども、僕がまぶしさを感じずにいられるたのは、ラグビーボールみたいな茶色い何かが、僕の頭の上をすっぽりと覆い隠していたからだ。
よくみると、それはどんぐりにみえた。
僕は「すいません。誰かいませんか?」と声をかけた。
「きみはどこからきたんだね?」というくぐもった声が、どんぐりの上の方から聞こえた。
「僕は佐賀県の武雄からきました。」と僕は言った。
「きみみたいな汚らしい子がくるもんだから、この森の平和がおかしくなるんだ。さっさとかえりなさい」と、どんぐりが言った。
「帰りようにも帰れないんです。見ての通り、椅子の上でくくられているんです。これをほどいてくれたら、森に迷惑をかけることなくさっさとかえります」と僕は言った。
「君の縄をほどいてやってもいいが、そのためには今持っている重さ1000トンのどんぐりを手離す必要がある。」とどんぐりは言った。
「あなたは誰なんですか?」と僕は言った。
すると、どんぐりがゆっくりと上に持ち上がった。
頭の大きさがシロナガスクジラくらいあるリスの姿があらわれた。
「わがはいの名前はまだない。けれども名前がついた。ドングリスだ。」とそのリスは言った。
「ドングリスさん。そのどんぐりを地面に置いたらどうですか?」と僕は言った。
「それはできん。わがはいの腕はいかにも頑丈だが、左右には動かんのだ。どんぐりから手を離せば、君はぺちゃんこクレープみたいになる」とドングリスは言った。
よくみると、そのどんぐりの底の方には、血のかたまりみたいなものがべったりと、へばりついていた。
最近、武雄の子供たちが行方不明になっているニュースのことを思い出した。
この地面の下には何人もの小学生が埋まっているのかと思うと僕は背筋が寒くなった。
「じゃあ、ドングリスさんの足で僕を椅子ごと蹴飛ばしてください。そうすればどんぐりの下敷きにはならなくて済むでしょう」と僕はお願いするように言った。
「わがはいの足は、オスのカンガルーの500倍の強い筋肉で覆われているから、もし君を蹴飛ばせば、林の向こうの谷底まで飛ばされてしまうだろう。生きてはかえれん。」とドングリスは言った。
「じゃあどうすれば、生きて帰れるんですか?」と僕は半分泣きべそをかきながら言った。
「方法はただひとつ。夜まで待つことだ。夜になれば、わがはいの足の筋肉は1/10になる。さすれば蹴飛ばしても谷底まで落ちることはなかろう。ただし、わがはいは太陽が西に少しでも傾くと眠くて眠くて仕方がなくなる。一度寝るとわがはいが目を覚ますのは、太陽がわがはいの真上にきたときだけだ。君はわがはいを寝かさないために、ドングリスの歌を歌い続けてくれ。ドングリスが流れているうちは、わがはいのまぶたが落ちることはない。ここに連れてこられてきた子供たちはみな、夜が来る前に、声が枯れてしまって、歌い続けることができなかった。そのうちにわがはいの手が疲れてしまって、どんぐりの下敷きとなってしまったのだ。かわいそうにな。」とドングリスはしょげたように言った。
「わかりました。ぼくは歌い続けて、きっと助かってみせます」
やがて、日が西に傾いてきて、ドングリスのまぶたが落ちかかってきた。
僕は急いでドングリスの歌を歌った。
ドングリスの歌を505回歌ったところで、声が掠れてきた。
水が飲めばまだまだ歌えそうだったけれど、水はリュックの中だ。
しかも、ペットボトルだから、ドングリスに取ってもらうことはできない。
もちろん、ペットボトルじゃなくても、ドングリスには到底無理な話だけれど。
やがて、1215回目に入ったところで、声がでなくなってしまった。
5分後、ドングリスのまぶたが半分降りてきたころ、声がまた出るようになった。
「日が暮れるまで、まだ1時間があるよ。僕はそこまで耐えられる自信はないよ」
ドングリスは答えなかった。よく見ると、ドングリスのまぶたは2/3のところまで落ちかかってきていた。
すると、僕の目の前に、てのひらに乗るくらいのリスがあらわれた。
「リス君。ドングリスが寝ないようにするためにはどうしたらいいかな?同じリス科だからそれくらいわかるだろ?僕の声はもう出なくなってきているんだ」と僕はハスキーな声でたずねた。
「君、お菓子を持っているかい?」とリスは言った。
「持っているよ。そこにあるリュックに入っているさ。ムーンライトとマーブルチョコが入っているはずだよ。」
「それはいい。ドングリスはムーンライトが大の好物さ。おいらがムーンライトをやつの鼻先までもっていけば、まぶたもぱっちり、寝ることはないよ。」
リスはムーンライトをリュックから引っ張り出し、ドングリスの鼻先にもっていった。
その効果はてきめんだった。
ドングリスは鼻をひくひくさせながら、重そうだったまぶたがばっちり開いた。
しめたものだ。日が暮れるまで、僕は歌うことをやめて、ドングリスの顔を眺めながら待つことにした。
ムーンスターを見つめるドングリスの目の白い部分が、赤くなって、膨れてあがってきた。
やがて、血の涙がポタポタと垂れてきて、僕の頭に落ちてきた。
僕のTシャツはドングリスの血で真っ赤になってしまった。
だんだんとドングリスの頭が落ちてきて、僕の顔の前に近づいてきた。
ドングリスの目はすっかり赤くなっていて、スーパーボールみたいに丸く膨れ上がっていた。
その奥にある影みたいな黒目がぎょろっと動いて、僕の目をにらみつけた。
僕は怖くなって、ドングリスの鼻を両足で思いっきり蹴飛ばした。
椅子ごとごろんとひっくり返って、その拍子に縄が抜けて僕は自由の身となった。
鼻を蹴られたドングリスは前のめりで倒れてきたので、僕は林の陰まで走って逃げ落ちた。
僕がさっきまでいたところに、1000トンのどんぐりがどすんと落ちた。
それが僕の2022年の初夢だった。
RIO