鹿児島県枕崎坊津ツアーのRIOの感想

今回の坊津ツアーのブログは2部構成です。

2部構成とはブログの内容を2分割して量を半分にするというわけではありません。

まずは僕の個人的な主観を交えた感想を書いていきます。

その後、写真を交えたツアーの様子を皆さんと共感できる形で書いていきます。

つまり、感想と出来事をキッパリ分けて別のものとして書いていくわけです。

出来事を書くというのは事実の忠実な再現ですから、お互いを独立させて自立したものにしてみてもいいかもしれない。

とこう思ったわけです。

自立させるということはどうしても文章ばかりになってしまいます。

これもちょっとした違う意味での気分転換だと思ってお付き合いください。

文章を読むというのも普段読まない人にとっては現実逃避の一つです。

ただし一つの区切りがついてからで構いません。

お手隙な時にお読みください。

皆様のどこか見慣れない部分を刺激できるよう書いていきます。(これまでも書いていましたが)

でももし何かのきっかけで読みたくなくなってしまったり興味が薄れてしまったら躊躇なく戻るボタンもしくは✖︎ボタン文字通り直接的に押してください。

そうすれば当たり前ですが、知りたくないことや興味のないものは綺麗さっぱり画面上から消えてしまいます。

そこで関係は綺麗に終わってしまいます。

そのような直接的で断定的な繋がりであるデジタルの世界ならではです。

そうでなければそこは電波やケーブルで繋がった世界でありません。

皮膚を通した物理的な熱を感じとれる世界ではありません。

つまり僕は書き手として、読み手の辻褄というものをお互いにちょうどいいバランスで均等に作用するようにしていきたい。

そう常々思っています。

だから「やめたくなったら」終了してください。

キリがいいまでなんて待ってはいけません。

そもそもキリなんてそんなものはありません。

幻想の中の幻想です。

つまり損する覚悟が必要です。

飲みかけだけど冷えてしまったコーヒーをダストボックスに捨てるように行うのです。

未練や計算の感情が生まれる余地なく迅速にです。

僕もそのようにしています。

 

サンライズとしては通算2回目の坊津ツアーだったわけですが、今回はかなり久しぶりでした。

1回目は2013年ですから7年ぶりです。

坊津へは個人的には何回か行ったことはありました。

坊津といえば九州のショップ御用達のような場所でした。

もっと通ってもっと詳しくなっていてもおかしくはありません。

でも当時のサンライズはもっと違う場所で花を咲かせたいと強く思っていたので坊津は自然と避けていました。

7年前といえば35歳の男盛り。

そんなことを思ってしまうのも無理はありません。

テストステロンが出まくっていたわけですから。

当時は新しくて面白い尻尾を掴んでやろうと必死でした。

そのためにエネルギー効率の悪いアメ車のようにガソリンを撒き散らし走ってきました。

今となってはおかげ様ではありますが、ある程度の数の尻尾を掴むことに成功しました。

気がつくと42歳。

4月で43歳です。

いいおじさんですね。

でも心配しないでください。

テストステロンがないというわけではありません。

人並み以上には出ています。

でないとサンライズなんてやってられません。そのくらいサンライズって重たいし引っ張りにくいんです。

わかりにくいかもしれませんが大きなスライムのようなものです。

重量も大人のどさんこくらいあります。

丁寧にロープをかけていてもいつの間にか外れるてし、無理に掴むと千切れてしまいます。

とても厄介なのですが、9年もやってるとようやくそのコツを掴んできました。

まずはよく滑るオイルを大量に買ってきます。ここをケチってはいけません。

オイルは上質のかついい匂いのするものが必要です。

その上等なオイルを遠慮なくアスファルトに流しこんでからしっかり足場を固めて行く方向を見定めます。

掛け声と同時にみんなで一斉にえいさ、えいさと滑らせるように押していきます。

道筋には逆らってはいけません。

風にも逆らってはいけません。

距離に対して決まった時間をかけなければいけません。

実直的な判断力と強い集中力が必要になります。

慣れてきたとはいえ本当に地味でめんどくさい作業です。

とっても骨が折れます。

なので僕も人間ですからたまにサボろうとしてしまうわけです。

でもそうすると確実にその部分からおくれが生じてきます。

すると遅れた部分を境に徐々に分解されていきます。

気がついた頃にはもうバラバラにあちこちに散らばっています。

拾い集める作業は押す作業の3倍ちかい時間がかかります。

そんなバカな!!

を地道に、ある意味真っ当に繰り返してきました。

それが僕の9年間です。

 

前回の坊津ツアーは、おにいたちとやっていた「お試しかツアー」でした。

行ってみてよければ定番ツアーに入れる。

悪ければ「ボツ」というチャレンジツアーはサンライズにとって参謀であるおにいとの思い出でもあります。

おにいたちとは色々行きましたが今となってはどこに行ったのか、どこが採用されたのかはあまり覚えていません。

ただ2013年に行った際の坊津はボツになったことは覚えています。

なぜボツになったのかと聞かれれば、まだ僕のテストステロンが下がっていなかったからと答えます。

坊津には自分が納得できるものがありませんでしたし、新しい可能性を見出せませんでした。

それが今年に入り「坊津って意外にあり。ありもあり。ありすぎる」と啓示のように降りてきました。

ストンと胃の腑に落ちました。

なぜだかわかりません。

わからないけど落ちたものは仕方がありませんからやるしかありません。

そんなわけのわからないものをあてに組んだ坊津ツアーにご参加いただきありがとうございました。

今回はなるだけ行き当たりばったりにしようと思いました。

あまり決めすぎず崩しすぎず適当なゆるさにしようと思いました。

結果的にはそれは大成功でした。

これまでの坊津ツアーにはない何かがありました。

これは大きな収穫でした。

そしてもう一つ啓示がありました。

それは今年からのサンライズのツアーに関することでした。

一本目のせがうらビーチから海へと入る時のこと。

足を踏み入れた瞬間でした。

「今後は沖縄と海外に行けない。北海道から鹿児島までの国内しか行かない。海は全て志賀島の延長線上にしかない。サンライズのツアーはこれからそうなる。そうしかならない。」

ストンと落ちてきたそれは確実に僕の思考を停止させました。

海どころではありませんでした。

生物はタイワンカマスしか覚えていません。

これはもう変えられないようです。

 

 

今回はハッチの車で坊津へ向かいました。

ハッチの車の中で僕の感受性が高くならない理由を話しあっていました。

僕もハッチも物事をきちんと知ろうとする癖がついています。

それは日々勉強をする癖でもあります。

いつも思考を働かせているとロジックばかりが先行しもともと備わっている感性に何かしらのブレーキがかかっているという結論になりました。

そこでブレーキを壊すためアホになることにしました。

アホになるというのはアホな人の真似をしてアホな行動をとるという事です。

これからは週に1回ほどの頻度でやってみようと思います。

その日は難しい本を読まない。

難しい顔をしない。

難しい言葉を口にしない。

感情のままに行動する。

言ってはみたものの全部行えるかどうかはわかりません。

でもこんな簡単なことに気がついたのも似たもの同士のハッチと狭い空間を共有したからだと思います。

人が狭い空間に惹かれるのはこういった理由からなのかもしれません。

 

海の中は清潔で澄んだ空間でした。そこはとても遠くまで見渡せる広さと自由がありました。

あたりを見渡すと、ところどころにコーラルが佇んでおりまるで印象派の絵画が並べられているようでした。

もしもここに家具を置くとすれば北欧のシンプルな家具が似合います。

寒くも暑くもないちょうどいい温度なのでBGMにスタディインブラウンでも流せば何時間でもくつろげそうでした。

僕はそこでウミウシを探してみました。

ウミウシは海の状態や環境を調べるには適しています。

魚と違いウミウシは土地の影響を強く受けるからです。

僕は桟橋にクラックが入っていないか確かめる潜水士のように探してみました。

集中しづらい海の中にも関わらず真剣に探しました。

しかしこのような海でウミウシを探すのは清潔な家でネズミを探すようなものです。

何も見つからず時間だけがすぎていきました。

とはいえ他に何か見つかりそうな雰囲気もありませんでした。

結局見つけたのはアオウミウシ2匹だけでした。

ウミウシが多い時期にこんなに少ないなんてと驚きました。

もう少し春になったらゾロゾロと帰ってくるのかもしれませんがそんなことはわかりません。

海のこと知ってるつもりでも意外に知らないことが多いと驚かされました。

もう少し調査をしてみたいなと思いました。

 

ボートで潜ったとんがり岩のポイントは針山地獄のようでした。

酸とトゲで穴を掘ったタワシウニが等間隔に隙間なく埋め尽くされていてどこにも手をつけられません。

うねる海中で岩に手をつけられないのは不安なものです。

実際は何かがなくても不安は生まれます。手がつけられないほどに生まれてきます。

もし一緒に潜っている誰かが何がしかの不安を一つ抱えると僕はその誰かの不安を一つ抱えながら潜らないといけません。

でも誰かの不安を僕が抱えることで誰かの不安がなくなるわけではありません。

誰かの不安が現実にならないよう見張っておくという門番のような役割を担う必要があるという意味です。

これがたくさん集まってくるとしんどくなってきます。

早く上がりたいという気持ちが強くなります。

解放されたいという気持ちにも似ています。

なので僕にとって安心できるというのは海で楽しむという意味では大きな意味を持ちます。

安心できることと言うのはすなわち「かせ」がない状態です。

かせが全くなければいいのかというとそうではありません。

かせがないと感動が薄く記憶も曖昧になってしまいます。

ダイビングにはいわゆる普通のストーリーと呼ばれるものとはちょっと種類の違うストーリーがあった方がいいので、かせというのは必要なのです。

その部分をコントロールできるのかがダイビングの面白さにつながるような気がしています。

 

ダラダラと取り止めのないことを書いていたら1日分のブログにしてはちょっと長くなりすぎているようです。

そろそろこの辺で締めたいと思います。

明日は坊津出来事ブログです。

 

RIO